宗教改革記念日について

2007年10月31日

 10月31日は、宗教改革記念日です。
その宗教改革のめざしたものは、なんだったのでしょうか。考えてみたいと思いました。

 
 1517年10月31日に、ローマ・カトリック教会の修道僧だったマルチィン・ルターが、ドイツのヴィッテンベルク城教会の扉に「95ヶ条の提題」を提示して討論を公に呼びかけました。

 
 当時の教皇レオ10世は、サン・ピエトロ大聖堂の修復費用を捻出するため贖宥状(罪を免除する。免罪符ともいう)を販売することを認可していました。
ルターは、この贖宥状販売 すなわち 金銭で救いを手に入れる考え方に危機感を抱き、「提題」のなかで、問題提起をしたのです。

 
「提題」の内容は、またたくまに、全ドイツに広がりました。15世紀半ばに開発されたグーデンベルクの印刷機によって、大量に「提題」が印刷され、各地に配布されたからです。

 
宗教改革の三大スローガン
 1 信仰義認 人は、ただ信仰によってのみ義とされる。(ローマ3:25〜26)
 2 聖書原理 聖書だけで、じゅうぶんである。聖書のみを福音の根拠とする。
 3 万人祭司 すべてのキリスト者は平等であり、みな祭司(伝道者)である。

 
プロテスタントの教派
 ルター派 領主が中心となり、教会を建て、自ら教会の長となり礼拝様式を改革し、
領邦教会を形成し、後にカトリック教会と対等の立場を獲得した。ドイツ北欧に広がりデンマーク、スェーデンでは、国教会となり今日に至っている。

 
カルヴァン派
 スイスのジュネーブで、宗教改革をすすめたカルヴァンは、ルターでは曖昧であった教会と国家の違いを明確にした上で、長老制を採用し、教会独自の権限をもって政治権力の保護なしで、教会が自立できる制度を確立した。改革派とも呼ばれ、フランス、オランダ、英国(イングランド)、スコットランド、アメリカへと広がった。

 
 私どもの教会は、このカルヴァン派に属しています。
  お気軽に、お出かけ下さい。お待ちしています。


 人と関わるとき

2007年6月27日

 私たちが、ほんとうの意味で「人と関わる」とは、いったいどういうことなのでしょうか。
 
 
 本気で、その人と関わりたいと願うのなら、その人をよく理解し、また、自分自身も、その人に理解してほしいと願うのではないでしょうか。 
 
 理解する。英語で、understandと言います。
文字どおり理解するということは、underにstandする。下に立つということです。 自分の立場から相手を見るのではなく、相手の立場まで、おりて見る。  いいえ、 それ以上に下に立てというのです。けれども、ともすれば相手の上に立ってしまう。  私たちにとって、understandという言葉は、大きな意味を私たちに投げかけてくれます。
 
 
「6 キリストは、神の身分でありながら、神を等しい者であることに固執しようとは思わず、 7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピの信徒への手紙2:6〜8)
 
 
 イエス・キリストは、神さまの御ひとり子でありながら、神と等しくある位置を離れて、ご自分を低くして、そして、それに固執しようとも思われず、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じになられた。  何故「人間と同じ者」だけではなく「僕(しもべ)の身分」と記されているのか。
 そして更に、「死に至るまで、それも十字架の死に至るまで(神に対して)従順でした」とある。
understandという言葉を思う時、私はこのみことば(上記2:6〜8)が忘れられない。
 


 創造主なる神を信ずる

 2007年3月25日

 2001年3月下旬(3/27)、私どもは、ここ光が丘の地に引っ越してまいりました。
その時はもう、時が過ぎていたのでしょうか。そしてまた、今年は2月と3月が入れかわったような天候です。それで辛夷の花も、びっくりしているのでしょうか。
 
 2002年早春、そして、それからの毎年春3月には、辛夷の花がきれいでした。春うららの道に、辛夷の花の白が目に沁みるようでした。私はここに、神の創造のみわざを思います。神の造られた自然の美しさを思います。私どもは植え、水を注ぎます。けれども、成長させてくださるのは神さまです。
 
 本来、キリスト信仰の一つの柱は、キリストによって示された神への信仰であります。そして、私どもは、この神を「全能の父なる神」と呼ぶと共に、「造り主なる神」とも呼びます。神が造り主であられることを信じるのです。
 神が造り主であられる。とはどういうことなのでしょうか。
創世記は記しています。
<3、神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
 4、神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
 5、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一日の日である。>(創世記1:3〜5)
 
 このようにして、六日にわたる神の天地創造の生地が続きます。そしてここで、注意しなければならないことは、天地創造の手順・方法を信じることではありません。例えば、一日と言っても、それは、私どもの生活における一日の意味でhじゃなく、ペトロの手紙ニ、3章8節に記されていますように、
<8、主(神)のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。>
と言われています。私どもの一日とは、違った立場で語られているのです。
 
 信仰は信頼の世界、人格の世界です。信仰とは人格の世界にかかわることです。「創造主・天地の造り主を信ずる」ということは、人間を含て、すべてのものを存在させ、これを支えている神への信仰であって、神が、どういう方法で、どういう順序で天地万物を造りあげたかを信じることではありません。
 天地の造り主を信じるとは、天地生成の経過を説明するものではなく、神こそが、私ども人間存在の根拠であると信じるのです。
 
 もう一歩、突っ込んで言いますと、私どもは自分で生きているように考え、振舞っているように思っていないでしょうか。けれども、考えてみますと、自分の意志で生まれてきた人は、一人もいませんし、そして、自分の死を見定められる人も、一人もいません。それらを支配しているのは何か。この私どもの生と死を支配しているお方こそが、神であると信じるのであります。


 平和が、いやしが、すべての幸いが手に入る鍵

2007年1月28日

 ある大変美しい伝説があります。
そこには、平和が、いやしが、そして、すべての幸いが、
その中にあると言われている黄金でできたお城の話です。
ですから、そこへ行けば平和が、いやしが、そして、すべての幸いが手に入ります。ところが、そこにはしっかりとした門があって、門には鍵がかかっています。そして、老人の門番が
一人、そこで番をしています。誰でもが、そこへ入るという訳にはいきません。鍵を貰わなければ入れないのです。
 
 そこで、ある人が長い年月働いて、ためたお金を全部持って、その門番のところへ行って、「これだけのお金を持って来たから、どうぞ自分に鍵を、ゆずってほしい」と頼みました。
ところが、その門番は、「お金では買えません。お金では この鍵はゆずれません。
あなたは誰かのために毎朝、一つ何か、いいことをいてごらんなさい。」そう言って帰されてしまうのです。
そこで、この人は帰って行くのです。鍵を手に入れるために、何か、しなきゃならないと思いつつ。
 
 ホームレスに出会って、そのホームに、先程、お城に入るために渡そうとしたお金を全部、そっくり上げて、そして、門番のところに戻ってまいります。
「ホームレスを助けて、お金を全部上げてきました。」そうすると老人は「もう一度、やんなさい」と。
そこで、この人は、もう一ぺん出て行くんです。そうすると、今度は、坂を登って行く婦人に出会いました。足が悪くて、しかも重い荷物を持って難儀をしています。そこで、この人は、この夫人を助けなきゃと思って、荷物を持って坂を登れるように手伝います。
そして、門番のところへ帰ってまいりまして、そのことを報告致します。そうすると、老人の門番は、今度は涙を流しながら、
「あなたは、もう一度やんなさい。もう一度やんなさい」と。
 
 この人は、もうすっかり落胆して、がっかりして、もうこれは駄目だと思って、とぼとぼと家路をたどって行くのです。そうすると、小犬が一匹わなにかかって、足を傷つけています。思わず、かわいそうに思って、わなから小犬を、はずしてやって、自分のシャツを引きさいて、小犬の傷を、ほうたいして、そして、小犬を放してやります。
 すると、自分のうしろに、いつの間にか門番の老人が来ています。
そして、「鍵を、この鍵を あなたに上げます。」
それで、その人は、「私は鍵を貰うつもりで、小犬を助けたんじゃない。鍵のことは、もうすっかり忘れていました。」と。
老人は、「この鍵は、自分を忘れる者、自分を忘れる人だけが、この鍵を貰う」という話です。
 
 自分を忘れる。これはなかなか大変なことのようです。「わたしは、わたしは」ということが残っている限りは、自分を忘れているとは言えないと思います。
神さまが、私どもの心に住む。家に住む人がいる。住む人が主人公です。
家というのは、それを入れる入れものに過ぎません。
神さまが、私どもの中の主人公です。
 イエスさまが、わたしの中の主人公になられて、いつの間にか、このわたしというものが消えていく。そうすると結果として、それを目指してではありません。
けれども、結果として、平和が、いやしが、すべての幸いがあります。
平和が、いやしが、すべての幸いがあるお城に入る鍵は、自分が抜け去った時に与えられる。
これは、ほんとうに、そうだと思うのです。


 西暦紀元について               2007年1月7日

 キリスト教を信じていない人にとっても、神の子キリストの歴史の中への突入は、大きな意味をもっている。
私たちは、今年は2007年だとか、イラク戦争が遂に始まったのは2003年だったとか、第二次世界大戦が終わったのは1945年だったとか言う。
今日では世界中で共通に使われているのは、この西暦である。
ではこの西暦とは何か。
 
 言うまでもなく、キリストの降誕の年をもって、紀元元年と定めたものである。キリスト降誕によって世界の歴史は、キリスト前(B.C.→Before Christ)と キリスト紀元(A.D.→Anno Domini…ラテン語)と二分されることになったのである。
 
 しかし、近世になって歴史の研究が進むにつれて、キリストの降誕が紀元元年ではなく、それより4年ないし6年位前だったのではと→幼児虐殺をしたと伝えられるヘロテが死んだのは(マタイによる福音書2:16〜20参照)、紀元前4年であり、人口調査を行ったクレニオが
シリアの総督だったのは紀元前6年までだからである。
 
 しかし、このような人間の間違いは、人間が神の計画を計算しようとして失敗したこと
として、神が人間の計算から自由であることを示していると言える。いずれにしても、世界の歴史がキリストの降誕によって二分され、私たちがこの原点との時間的距離で年代を数え、その中で生きていることに注目したいと思う。


 未来に生きる子どもの教育          2006年10月29日

  はじめに
 子どもの教育は、すべて明日に向っている。何故なら、子どもは過去に向って生きていないから。また、子どものことを扱う場合、いつも未来を扱っていることになる。考えると恐い思いがする。子どもたちが生きていく未来が、どんなものなのか、誰にも解らない。子どもが未来に生きていく力を、親がつけてやるのは、非常に難しい。
 今いる子どもたちが、社会の中枢になった時に、素晴らしい未来を造ってくれるような力を、今の子どもたちにつけておく。これは私どもが間接的に素晴らしい未来を創造することになる。どんな未来を、皆さんが頭の中に、描かれようとご自由である。特に、現代は内外ともに激動の時代である。けれども、私はこんな未来がほしいとの幻は、皆さん、お持ちなのではないかと思う。頭に描いていらっしゃるその素晴らしい未来を、今、子どもたちに、吹き込んでおいて頂きたい。これが未来に生きていく子どもの教育の一番最初にすることではないかと思う。子どもにそういう力をつけるとは、いったいどうしたらよいのか。ごいっしょに考えてみたい。


  こくごのべんきょう
 ○月○日 月ようび はれ
 ぼくのおかあさんは、すぐ、こう言います。
 「いいですか、すくなくとも、20回はノートに書かないと、おぼえられませんよ。20回書いたら、おかあさんに見せて、それから、あそびに行くんですよ。」
 ぼくは、むずかしいかん字も、かんたんなかん字も、かならず20回書かされます。それで、
一年生の時、べんりなやり方を見つけました。それは、「いぬ」ということばをれんしゅうする時、はじめに「い」「い」「い」って、20回書いて、あっとから「ぬ」「ぬ」「ぬ」って書いてから、
おかあさんに見せたら
 「よく書けましたね。あそびに行ってもいいですよ。」
って言われたからです。それからずっと、かん字のれんしゅうの時は、「へん」と「つくり」をべつべつに書きます。おかあさんは、このやかたを知らないらしく、ぼくがノートを見せると、安心したような顔をしています。このやりかたは、あまりよくないと思います。でも、早く書けます。
 
 ○月○日 火ようび くもり
 ぼくは、作文のしゅくだいが一ばんきらいです。おかあさんが、
「きれいにね、はやくね、そして、たくさん書くんですよ。」
と言うからです。字をきれいに書くとおそくなります。それなのに、おかあさんは、はやく、
たくさん書けと言います。ぼくは、三ついっしょにはむりです。
 
 ○月○日 水ようび あめ
 きょう、うちへかえるとすぐ、おかあさんに、「げき」のところを読んであげました。おかあさんはいそがしそうでしたが、すわって、ぼくの読むのを聞いてくれました。そして、
「○○、わりとじょうずになったわね。」
と言ってくれました。
 ぼくは、きょう、先生に読むのをほめられました。だからもう一度、おかあさんに聞いてもらいたかったのです。おかあさんにほめられて、とっても、とっても、うれしかったです。
 
 
  学習日記のこと
 いつ、子どもと話し合ったかは、さだかではないが、内容は今も、忘れられない。
 「『半頁書いてこなければ、やりなおしですよ。』って、先生はおっしゃりながら、やりなおしさせていない。いかん。」(子ども)
と、少々、おかんむりの様子。
 「半頁書くことは、それだけ○子の勉強になるし、書いてこないお友だちはそのお友だち自身、損をしているのだから、そんなこと気にしないで、○子は、ちゃんと、書いていきなさいよ。」(私)
 「だったら、やっぱり、先生は、やりなおしさせるべきだと思う。だって、その子の勉強にならないもの。」(子ども)
 「先生には先生のお考えがあるのだから、○子がそこまで心配しなくてもいいの。」(私)
と、その場は、つくろって、答えたものの明解ではなかった。
 
 
  おわりに
○ 私どもは、子どもを惨めな人間にしていないでしょうか。人間が飲食をするには、時間と場所が必要である。飲みたいから飲む、食べたいから食べる。これでは動物である。このように幼時からしたがることを何でもさせ、欲しがるものは何でも与えて、ブレーキ故障型人間に。これでは教育ではなく飼育になってしまう。私どもは、子どもを心身共に健全に養育しなければならないと思う。
 
○ 教育とは、神のみわざに参与させて頂くことである。
 私どもにとって、子どもは、神さまからおあずかりした大切な宝である。神のみわざに参与させて頂くとはどういうことなのか。
教育とは、頭で考えることではなく、実際に、子どもを教え育てなければならない。実際に、苦しまなければならない。
親の責任を痛切に思う。神の御助けを切に願って止まない。
 
 「主よ、わたしは知っています。
  人はその道を定めえず
  歩みながら、足取りを確かめることもできません。」(エレミヤ書10章23節)
 
 エレミヤが言うように、祈るように、人の歩みは、深い次元では、自分でその足取りを確かめることも、できないのでは・・・・・。
主なる神に、すべてを委ねて、平安にその道を歩んで行きたいと願っている。
 
 


 今こそ神のことばを!              2006年9月24日

 今、私たちは、大きな大きな歴史の曲がり角に立たされているのではないでしょうか。
 
 地球温暖化の問題、教育の問題、飲酒運転による交通事故多発の問題、そして更に、世界平和の問題等々。
 
 世界の歴史は、日本の歴史は大きく揺れ動いています。しかし、これは偶然ではありません。この歴史の激動の底に、歴史の神の審きを聞きとれないとしたら、わたしたちの耳はふさがっていることになるのでは……。被造者としての限界を謙虚に認め、歴史への進むべき方向を、歴史の真の神に膝をかがめて聞き、そして、その進むべき方向に仕えつつ参加して行くこと ─ それが今日のわたしたちの課題なのではと思います。
 
 使徒パウロは、「このようなわたしたちを、神は召されている」と言い、立ち返って、神のみ前に真実な者として生きよと奨めています。
 
 では、わたしたちの生かされている目標とは、何なのでしょうか。
 
 神は、その恵みと愛から人間を創造されたのであります。これを知って、神を崇め、礼拝することが人生の義務であります。また、喜びであります。
そして更に、神の栄光を表すことが各自に与えられている目標であります。


 今こそ神のことばを!
 聖書には癒しのことばが満ちています。
 真の神に出会って いただきたい。
 私どもの切なる願いです。
 お気軽に お出かけください。
 
 


 光が洪水となって                2006年7月25日

 教会前の車道を走り行く車の音が「雨かしら…」と。
さながら、雨で濡れた鋪道を走り抜ける車のようで、
雨音に聞こえた。
外には太陽の光がさんさんと輝いていた。
 
「光の洪水」とは、どんな音がするのだろうかと、ふと思う。

 使徒パウロは第2コリント4章6節で、神は「光が照りいでよ」と私たちの心を照らしてくださったという意味のことを語っている。
またここのところを、「光の洪水」という表現で解説している聖書学者もいる。
洪水が、どっとすべてのものを押し包んでしまうように、キリストの救いの光が圧倒的な洪水となって、私たちを押し包んでしまった。パウロはそう言っている。
キリスト復活の信仰、復活体験とは、そういう光の体験、光の洪水の体験であると言えると思う。

 今、静かに来し方を振り返る時、奇跡としか言えない光の中を導かれた感謝でいっぱいである。兵庫県尼崎市の塚口教会で8年間も教え、導かれたこと。その間に、伝道者への
召命を与えられ、塚口教会が招聘して下さり、用いて下さったことなど。そして、奈良県生駒市の生駒伝道所で1年間を用いていただき、そして更に、この光が丘の地に、光が丘教会が与えられ、2001年4月1日(日)伝道開始、現在に至っている。